琉球キングス 今も色褪せぬ東日本大震災への思い

 

勝敗以上のことを伝える 実感したスポーツの力

 11~12年シーズンにキングスをbjリーグ2度目の優勝に導き、オフに契約を終えた後、岩手ビッグブルズからHCのオファーを受けた桶谷さん。震災後、バスケシューズを被災地の子どもたちに送る活動を続け、東北の状況は常に気に掛かっていた。「自分の力で岩手のために何かできるなら」。他チームからのオファーを断り、岩手行きを決めた。

 岩手入りして最初に連れて行ってもらったのは、被害の甚大な沿岸部だった。目にした震災の爪痕は、今も鮮明に覚えている。選手には「自分たちができること、伝えていけることを全力でやろう」と常々話していたという。多くのファンらから「岩手ビッグブルズを見て前向きになれた」と言われ、スポーツの力を実感した。

 リーグ戦で成績を残すことの重要性を認識しながらも、地域やファンに支えられているプロチームとして「勝敗以上のことを伝え続けることが大事」という確信がある。「震災から今までの経験や考えてきたことが、今の自分の芯の部分に根付いている」と実感している。

与那嶺さん 指導者として経験継承

東日本大震災への思いを語るキングスU18の与那嶺翼HC(球団提供)

 与那嶺さんは13~15年の2シーズン、選手として岩手ビッグブルズに所属した。被災地を訪れたり、被災に遭った人の話を聞くにつけ、ある気持ちが強まっていった。「バスケができること、生きることは当たり前じゃない」。その思いは指導者となった今も色あせることはなく、「3・11」の時期になると子供たちにも伝えるようにしている。

 忘れられない出会いがある。岩手で暮らしていたアパートのある住人が、被災後に沿岸部の大槌町から内陸の盛岡市に家族で移り住んでいた。プロ選手だと伝えると、ある時、試合を観戦しに来てくれた。終了後、熱い言葉を伝えられた。

 「ここには明日への活力が溢れている」。その人はチームのファンになり、冠スポンサーとなり、今では役員として球団経営に関わっている。「この出会いもスポーツの力で繋がった縁。これがプロ選手の存在意義」と強く感じたという。

 引退後に務めたアシスタントコーチ時代も含め、岩手に住んだのは3年ほど。それでも沖縄では他の人より岩手の事を知っているし、岩手の事を考えてきた時間も長いという自覚がある。だからこそ「この経験を子供たちに伝えていくことが役割」だと思う。「バスケ以外のことも伝えるという考えになれたのも、岩手で生活して、現地の方の声を聞いて、被災地を見てきたからこそ。それを伝えていく責任が、私にはあると思っている」

 2人のインタビュー詳細はキングスのHP(https://goldenkings.jp/news/detail/id=16614)で読むことができる。

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