書評『沖縄をめぐる言葉たち』(河原仁志著、毎日新聞出版)上

 

 かねて「政治(家)は言葉である」と信じている私は、書店で同書が視界に入ったとたん、迷わず手に取りレジに直行した。折しも、基地クラスター発生と「GoToトラベルキャンペーン」による来沖観光客の急増で外出が及び腰となるなか、引きこもってむさぼり読んだ。

 登場する言葉を発した当事者の何人かには、パーティーの席上で立ち話を交わしただけの方もいれば、膝詰めでじっくり話してくれた方もいる。すでに鬼籍に入られた方も多く、殊に若い頃会った方たちには、もっと勉強しておけば濃い話が聞けたのにと悔やむ次第である。

 〈第1章 沖縄戦の残影、第2章 米統治の闇、第3章 本土復帰の騒乱、第4章 昭和の葛藤、第5章 平成の胎動、第6章 普天間の虚実〉の6章で構成され、それぞれ6、12、11、14、8、11項目の「言葉たち」を配している。62の言葉たちは、一話一話が「NHKスペシャル」を構成できるほどの濃い内容だ。

 中学1年で本土復帰を迎えた私としては、第3章以降はリアル体験をしていることになるが、1980年代から6年前まで東京で過ごしていたこともあり、第5章4項目(K・メア発言)以前は大手メディアの伝える範囲の認識しかない。

軍政府はネコで沖縄はネズミ

 注目したのは、私が生まれる以前の第2章、小学生の頃の第3章である。小学生ゆえ意味内容を理解していたとは言い難く、また今までの認識が覆される言葉たちもあった。著者は「はじめに」でこう述べている。

 〈調べだすと興味深いことがわかってきた。その一つは、歴史的に評価が定着しているような言葉でも、背景を探り前後の史実や他の証言と重ね合わせていくと、私たちが知っている「常識」とは違うニュアンスが浮かんでくることだ。(中略)

 言葉を沖縄の戦後史という長い時間軸に落とし込むと、発せられた当時の評価とは異なる側面がみえてくるのも発見だった。悪名高きフレーズも含意のある名言になったり、歴史的名言とされたものが実は借り物の言葉だったりする〉

 前者の典型例が【第2章1】「軍政府はネコで、沖縄はネズミである。ネコの許す範囲しかネズミは遊べない」である。「『軍政府に逆らったらただではおかないぞ』と脅しをかけたと受け止められてきた」と著者が言うように、その見方が定着していた。

 しかしその背景に「国務省の考えに近い(46年6月まで統治を担っていた)海軍」と「統合参謀本部と密接な陸軍」の対立があった。7月から陸軍に移管される前に「行政機構を整備しておいた方が沖縄県民にとっては得策」と、J・ワトキンス米海軍少佐・軍政府政治部長が善意から発したようだ。

 ワトキンスは沖縄諮詢会(諮問機関)の委員にこうも忠告したという。「固く結束せよ。要求すべきは強く主張せよ。一度でできなければ二度でも三度でも押せ」

 ワトキンスの懸念が的中するのがこれだろう。【第2章4】「現在の時点で(琉球の)自治は神話であり、存在しない」(ポール・W・キャラウェイ琉球列島高等弁務官=1963年3月5日の「金門クラブ」での講演)

キャラウェイ旋風

 「自治神話論」は圧政の象徴と受け止められ、「キャラウェイ旋風」と称されたが、一方で琉球政府の行政能力や責任欠如が議論されたのも興味深い。著者はその点を「一定程度事実」と認めつつも、圧政最大の問題点は「頭越しの直接統治という手法に起因している」と指摘する。

 不勉強のせいもあるが、沖縄の戦後史関連の書籍でもさほど見かけない人物の名前を目にして驚き、そして懐かしさが甦った。

 【第2章6】「総理の沖縄に対するお気持ち、対策実行の決意がよく分かりました。多くのナマの声を聞き、リポートにまとめます」(横田球生・元共同通信那覇支局長=1960年9月25日、池田勇人首相から沖縄の実情報告を要請された際の発言~『一九六〇年のパスポート』横田球生著から)

 大学4年だった36年前、無謀にも虎ノ門にあった共同通信本社に横田氏を訪ねたことがある。あいにく前日友人と飲みすぎて寝過ごし1時間遅刻したが、出迎えた横田氏に「これだからな、沖縄の人間は。でもよく来てくれたよ」と、クギを刺しつつも温かく迎え入れてくれた。

 横田氏が限定出版した『私家版 沖縄ノート』を譲り受けるために出向き、館内のレストランでポークピカタをご馳走になった。知人に貸したため同書は手元にないが、1時間も遅刻してきた若造に「特派員時代」の逸話などを話して聞かせてくれた。

 閑話休題。1960年9月、当時30歳の横田氏は同社那覇支局初代支局長として赴任する前、池田勇人首相の自宅に呼び出される。そのミッションは「沖縄に関して何をなすべきか、何がいま可能であるかについてのリポートを上げてもらいたい」。

記者が記者としていた古き良き時代

 ありきたりの施政権返還要求の継続や日本政府の経済援助拡大のみならず、横田氏が力点を置いたのは「日の丸掲揚の自由」。軍政府は公の場で「日の丸掲揚、君が代斉唱」を制限していたのだ。

 横田氏が11月末にリポートを提出すると、池田首相は半年後の61年6月、日米首脳会談でケネディ大統領を説得、日の丸掲揚の自由を実現させる。さらに62年2月、「国連の植民地解放宣言を引用して米軍の沖縄支配が国連憲章違反ではないかと示唆する」を盛り込んだ立法院の返還決議を独占スクープしている。

 キャラウェイに睨まれたのは必至である。

 〈横田はそのスクープを手土産に那覇支局の任期を終えるが、再び取材に訪れる時のために申請した沖縄への『再入域許可』を米民政府は認めず、さらに離任者には慣例になっている高等弁務官からの感謝状もなかった。横田は生涯そのことを記者としての最大の勲章としていたという〉

 官房長官に食い下がる女性記者に質問を打ち切らせようとしたり、総理主催の寿司会や焼き肉会に嬉々として駆けつけたりする大手メディア記者たちとのとてつもない落差。記者が記者としての仕事をしていた古き良き時代ではある。

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友寄 貞丸

友寄 貞丸

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伊江村出身。1990年から主に中国、台湾の取材執筆活動を続ける。2014年11月Uターン。著書に『雲南哀楽紀行』(愛育社)など。国境を越えても一線を越えない旅と取材を信条とする。

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