【安全保障ってなんだろう?】今の「中国」を知るためのいくつかの質問 関西学院大学・井上一郎教授に聞く

 

 日本の防衛力強化を巡る議論が盛んになっている昨今。地理的に台湾に近く、自衛隊配備に揺れる石垣や宮古があり、そして米軍基地を抱える沖縄はその意味で安全保障の“最前線”に位置していると言えるだろう。しかし、この「安全保障」という言葉から受けるイメージは大きくてぼんやりとしている。国の“安全”を“保障”するのだから、全ての国民が関係するにも関わらず。
 今活発化している安全保障の議論では、よく「中国の脅威」という言葉に出くわすが、これがどのようなことを意味し、どのように受け止められているのか、あるいは受け止めなければならないのか。日本の、沖縄のすぐそばにあるこの大国について、そしてその関係性についてどう眼差せばいいのか、どのように考え始めればいいのか。中国の外交や安全保障政策について研究する関西学院大学の井上一郎教授に話を聞いた。


中国の国力と国際的影響力の高まり

 ―ここ最近「台湾有事」というワードをよく目にします。中国の国内事情や国際情勢から見て、どのような経緯があって現状に至ったのでしょうか。

台湾有事についてあちこちで今言われているのは、2年ほど前に当時のデビッドソン米国インド太平洋軍司令官が議会で「6年以内、すなわち2027年頃までには、中国が台湾に侵攻する可能性がある」という主旨の発言をしたことが大きなきっかけとなりました。しかし、それ以前からも台湾有事の話は当然あったわけです。米国の台湾に対する政策は今まで基本的に「あいまい戦略」と言われていて、中国が台湾に対して武力行使を行った場合、米国が軍事介入するかどうかについて、あらかじめはっきり示さないという政策です。米国政府は公式にはあいまい戦略は変えていてないけども、最近の動きとしては例えばバイデン大統領は台湾を守る姿勢の発言を繰り返しています。

 ―そんな中、中国の存在感が出てきたことで、世界中の他の国々への影響力が出てきたことでこれまでとは国際情勢のパワー・バランスが変わってきたということでしょうか。

そうですね。中国の国力、すなわちパワーが近年高まってきたことは大きい。2008年頃から、アメリカがリーマン・ショックでかなり力が落ちてきたと見られるタイミングで、そして、その後、特に習近平時代になってからは台湾問題のみならず、国際関係全般に関して、中国は積極的な物の言い方をするようになってきています。先のデビッドソン発言が1つの契機となり、最近日本では台湾有事という言葉を巡って、安全保障の観点から現実に起きたらどうなるのか、米軍が介入した時に日本は何ができるのか、自衛隊と米軍でどんなオペレーションをするのか、といったことについてかなりおおっぴらに議論されるようになってきています。
 日中関係は今世紀に入ってから歴史問題に加え、尖閣問題もあって常にギクシャクしていましたが、かつては、他の欧米諸国から見ても「どうせ日本と中国は仲が悪く、いつも言い争いをしている」と思われがちでした。ところが国際社会における中国の存在感が高まり、習近平時代になってその振る舞いも強硬になってきたことから、ついにアメリカも本気で中国に対峙する姿勢を見せ始めたのみならず、オーストラリアやカナダなども以前と比べて中国への見方は大変厳しくなってきているのが現状です。
 ひとくちに欧米といっても、欧州は中国から遠いので、中国からの「脅威」感はアジア太平洋諸国ほど高くはなく、むしろ、巨大な中国経済から得られる利益の方に関心が高かったのですが、昨今はその欧州ですら見方がだいぶ変わってきています。例えばイギリスはAUKUS(オーカス)という、オーストラリアとアメリカとの軍事同盟に参加しました。他方、中国の存在が近くて大きい東南アジア諸国については「中国に正面から対抗してもしょうがない」「米中の対立に巻き込まれたくない」という立ち位置だと思います。

習近平政権の“アグレッシブ”さ

 ―習近平政権になってから、対外的な姿勢や方針はどう変化しているのでしょうか。

よりアグレッシブになったと見られています。胡錦濤の時代は「我々は発展してるけども、あくまで平和的な発展だ」と外国に警戒心を持たれないような努力をした物の言い方をしていました。それが習近平になってからは、大国、強国を強調するようになり、具体的な行動においても例えば南シナ海で人工島を造成して軍事基地化するようなこともしています。日本に関係することで言えば、2010年に尖閣で中国漁船と海保巡視船との衝突事件がありました。更に2012年9月には、日本政府が、尖閣を安定的に管理するために所有権を私人から国に移転したことに対して、中国がものすごく反発した。ちょうどその翌月の10月には政権が胡錦濤から習近平に変わるタイミングだったんですね。
 あくまで推測ですが、その頃には習近平がこの問題をハンドリングしていたのではないかとも言われていて、政権の交代期ということもあってかなり強い反応を示した。中国の海保にあたる公船が領海侵犯する事例はこの事件以前にもすでにありましたが、今日のように日常的に来るようになったのはそこからですね。このような問題が起きるまでは、実は、ほとんどの一般の中国の人たちは尖閣の問題なんて知らなかったんですよ。
 かといって、領土の問題なんていうのはなかなか解決できる話ではないのも事実です。日本国内から見ると、台湾だけではなくて、有事の際には、日本の領土である尖閣の防衛にも関係するという危機感もあり、これらの事件は、日中関係において「安全保障」の問題が大きく認識され始めたポイントだと思います。

 ―中国国内の現在の情勢はどうなっているのでしょうか。

今の中国は共産党によるイデオロギーの強化がますます進んでいます。また、昨年10月にあった5年に1度の共産党大会後の人事においても、もうほぼ習近平の息のかかった部下だけで固められた感があります。彼の周りに「ノー」と言える人はいないでしょう。普通、政策決定の過程においては色んな材料が上がってきて、ネガティブ・ポジティブ両方の要素を議論した中で決まっていくわけです。しかし、おそらく今の中国の役人や上級レベルの幹部らのあいだでは、習近平が向いてる方向を見極めてそれを先取りしようという傾向に陥りやすい。そんな中では「これはまずいです」と言える人はいなくなり、大きな問題に直面した際の政策の調整や転換が遅れるおそれがあります。
 台湾についても習近平がアグレッシブな姿勢を示してるいるので、軍はもちろんのこと、国内のナショナリズムも高まり、同じような方向に向かいやすい。その結果として、危機の際に冷静な判断ができなくなることが一番心配になってくるわけです。それに比べると、台湾は民主化された政治体制の下、対中国政策では一定のバランスにも配慮しており、あまりナショナリズムみたいなものを煽ることはない。この点は体制の違いから来るところもあると思います。

「台湾を軍事的に制圧するハードルはまだまだ高い」

 ―台湾有事の可能性について、井上さんはどのように考えていますか。

私のように中国の政治や外交を研究する人間と、安全保障を専門にしている安保コミュニティの人たちとでは、若干視点が異なります。安全保障の観点からは常に最悪を想定した議論をせざるを得ないので、台湾有事の議論が今日高まっているのは十分理解できます。
 一方で、中国研究者として中国の立場に着目すれば、台湾を一方的に軍事的に制圧するためのハードルはまだまだ高いと思われます。これは単に「中国研究者は中国に対する見方が甘い」といった単純なレベルの話ではありません。中国とすれば台湾への軍事力行使は、米国の介入があり得ることを想定せざるを得ません。そして、万が一失敗したら、これまで台湾統一は共産党政権の最重要事項として国民に説明してきた経緯もあり、習近平政権の終わりどころか、共産党政権が持続できなくなる可能性もあります。中国の指導部にとって台湾への軍事力行使は非常に政治的な決定であり、単に軍事的優勢が確認できれば自動的に武力統一に動くというものでもありません。一方で、軍事的には不利な情勢であっても必要と判断すれば武力行使を行う場合もあり得ると考えるべきです。
 ただし、中国の軍事的なケイパビリティ(=能力)は間違いなく伸びてきている。GDPの成長率自体は下降傾向にありますが、それでも10年以上前に日本を抜いて今はもう日本の4倍近くになっています。それに伴って、軍事費も巨大なものになっており、日本から見れば、隣国である中国において、互いの信頼感を欠いたまま、大規模かつ透明度の低い軍事力が拡充されつつある事実には警戒感を高めざるを得ません

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