30年前、沖縄から中国や台湾への留学は(後)

 
川田氏の四川大学時代のクラスメートたち

 沖縄から中華圏への留学経験者の座談会2回目。今でこそ気軽に留学できるようになったが、30年以上前の1980年代から90年代にかけて沖縄から台湾や中国への留学はどうだったのか。

 台湾台北と中国北京に留学した経験を持つ山田透さん(仮名・那覇市出身・自営業・50代)と、四川大学で本科(4年制)を卒業後、北京大に国費留学した経験を持つ川田淳史さん(仮名・本島南部出身・物流・50代)に当時の留学事情について話を聞いた。なお、この記事の前編についてはこちらを参照(https://hubokinawa.jp/archives/12435)。

「女の子からよく声をかけられた」

――中国留学を経験した人の中には“小日本”“日本鬼子”(いずれも日本人の蔑称)と呼ばれ「歴史問題」に直面した人も少なくないです。

川田「一度だけですが、上の階から唾を吐かれたことはあります。ただ中国人は辺りかまわず痰を吐いていたので、狙ってやったのかどうかは定かでないです。

 歴史問題と言われていますが、事実は変えられないので、自分から中国社会に入っていこうと思い、学内行事にも積極的に参加しました。私はバスケットなどをやっていて、また運動会にも出場していい成績を修めていたので、そこそこ顔と名前が知られていたんです。構内を歩いていると『あなた川田さんでしょ』とよく声を掛けられました。特に女の子からが多かった。今じゃそんなこと無いですけどね(笑)」

山田「なんで付いていかなかったの?もったいない」

川田「当時は男女の交際は厳しくて、ホイホイとはいかなかったです。一度二人きりで会ったりするとうわさが立って、もう結婚かという状況でした」

バスケット大会優勝

――気が合えば二人きりになれるところを探して輪を離れる沖縄の「毛遊び」文化の対極にありますね。

川田「中国の学生が週末にどのように過ごしているのか興味があって見に行くと、教室や露天の球技場がダンスホールに早変わりするんです。近寄るとディスコもどきのことをやっている。すると『一緒に踊りましょう』と声を掛けられるんです。『踊れないから』と言っても、また次から次へと女の子が来て、『私と踊りませんか』。俺“モテ期”だなと思いました(笑)」

九寨溝に行くのに7月8日

――長期休暇の過ごし方は?

川田「旅が多かったけど、飛行機なんて夢のまた夢でした。国慶節(10月1日)の休暇は成都から列車の硬座(普通席)に24時間乗って雲南省の省都昆明に行きました。「成昆鉄道」はトンネルと鉄橋が多く秘境ムード満点で、鉄道ファンには垂涎の的なんです。

 成都から上海までは(トラブルがなくて)48時間、広州は3泊4日掛かりました。昆明までの24時間で腰を悪くして、さすがにあとは硬臥(二等寝台)にしました。バス移動はもっと厳しくて、山岳地帯で道も険しいので方々で車が落ちているんです(笑)。今思うと『よくぞ生きて帰れたな』というのが実感です」

――四川は『三国志』ゆかりの史跡以外にも名勝地は多いですよね。

川田「今は楽に行けるんですけど『九寨溝』(1992年、ユネスコ世界遺産登録)に行くのに当時、麓まで2日、目的地まで5千メートル級の山々を越えて7泊8日掛かりました。高山病のリスクもあります。同部屋の日本人が留学生ツアーを企画したのですが、彼は実現しないまま途中で帰国しました。やむなく私が代わることになり、隊長を務めました。参加した者は皆感動して無事成都に帰りました。

九寨溝

 その後、他の国の留学生から『何かイベントを企画してよ』と請われて、色々やりました。翌年も『前年行ったのだから今年も』となって、またまた山岳ガイドです。その頃には留学生の間でも人気者になっていました(笑)」

――台北ではどうだったの?

山田「そんなに余裕がなかったので、アルバイトとスポーツで汗を流す程度でした。沖縄からも近いし旅行はいつでも行けると思っていたので、お金をためて行こうなんて考えませんでした。それだけは後悔しています」

――だから、カラオケを少し我慢してお金をためれば……。

山田「そうなんです。その反動が今出ていて、ウオークか自転車で台湾を巡りたいという思いが募っています」

最後は酒!

――山田さんの北京ライフは?

山田「私もざっくばらんにみんなと話すタイプだったので、自分の部屋は日本人、在日韓国・朝鮮人、韓国系アメリカ人、アメリカ人、カンボジア人らのたまり場でした。そこで酒を飲みながらいろんな話をしていました。日本人だけで300名近くいて沖縄からは2名だけ。

 不思議なことに日本人留学生の間でも差別していました。名古屋や関西、東京出身の1期上の日本人から『なぜ山田はあいつら(在日韓国・朝鮮人)と付き合うのか』と言われたこともありました。本土での生活経験がなかったので、当初は“在日”の意味が分からなかった。同じ日本に住んでいるんですよ。  

 それ以前から彼らはみんな私の部屋に遊びに来ていました。韓国系アメリカ人はウオッカを土産に持ってきたので、それならばと私も泡盛を出して飲み比べし朝の4時まで飲み明かしました。

 こんなこともありました。アメリカから来た華僑の女の子3人のうちの一人はテニスが得意で、留学生スポーツ大会の当日、脚をケガしたんです。私は高校時代バスケットをやっていたので、テーピングの知識がありました。どうしても試合に出たいと言うので、テーピングを施し試合に出場させることができました。

 その子は祖父母から『日本人は冷酷だから付き合うな!』と言われていたそうです。でもその夜、またまた私の部屋で打ち上げした時、なんとその子たちが部屋に来たんです。『祖父母の言うことは間違っていた。日本人は優しい』と。遅くまで一緒に飲みました」

――最後は酒なんですね。それにしてもいい話を聞かせていただきました。これから台湾、中国に留学しようと考えている若者にメッセージをお願いします。

山田「日本人留学生だけでなく、他国留学生とも交流を深め、世界平和に貢献できる人材をめざしてほしいです」

川田「井の中の蛙大海を知らず。大海を知らなくてもよいかもしれないが、このグローバル化の中で外(海外)に出て俯瞰的に眺めてみるのも知らない発見があり楽しいですよ」


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