北部基幹病院の基本合意まで 県の担当だった経験から②

 
県立北部病院 沖縄ニュースネット
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 前回、仲井眞元知事の陣頭指揮で作成した県立病院経営改革案が当時の野党(現在は与党)県議や職員組合の理解が全く得られなかった話をした(https://okinawanewsnet.jp/?p=1289)。私たちが議員に対して懸命に説明を試みたやり取りの中で発生した、エピソードを二つ紹介したい。おそらく読者の皆さんの多くはあきれてしまうことでしょう。

 まず最初のエピソード。この種の問題の議員への説明は与党と野党と別々に行うのが通例であり、重要な案件は部長が、あまり問題のない案件は課長や班長が行っていた。与党への説明は当然のごとく全く問題なかった。むしろ、良い案だとの評価を受けた。

 しかし、野党議員の皆さんは私の様な県庁職員の話を全く受け付けない。そこで野党への説明は副知事に助けを求めることにした。副知事が行った野党への説明で珍事が発生した。

 テレビカメラや新聞記者が控えるなか進行係の私が始めようとした。その時、野党議員の一人が突然、私をさえぎり「皆さんは私たちに宣戦布告をしに来たんですか。」と発言した。すると普段は穏やかな副知事の顔が突然ひきつり小刻みに震え、「宣戦布告とはなんだ。私は二度と戦争などしたくない・・・」。普段には絶対にない大声で一喝した。その場の出席者は副知事以外はみな若く直接の戦争経験者は副知事だけであった。

 もちろん発言した議員には大した意味もなくマンガ的な言葉として“宣戦布告”という言葉を使ったのであろう。しかし、副知事は戦争体験から本能的に戦争を想起する言葉に反応したようである。そのまま席をけって退出してしまった。残された者はみな言葉を失ってその場は自然解散となった。翌日の報道がどうなるか気になったがそのことは全く報道されることはなかった。

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 二つ目のエピソードを紹介したい。宣戦布告騒動から数日後、今度は担当者が野党議員から呼び出され説明を求められた。しかし、担当者の説明をほとんど聞こうともしないで口々に担当者の批判を始めた。たまらなくなって担当者が「少しは私たちの説明を聞いてください」と強い口調で話した。職員は一生懸命であった。その表れだと思うが、無意識のうちに軽くテーブルをたたいたようである。職員の一瞬の動作を議員は見とがめた。

「議員に対してテーブルをたたいて話を聞けとは失礼だ・・・・」

 県職員の態度が悪いと一方的に攻められた。態度が悪いと言われたら返す言葉もない。議員から一方的に攻められて、肝心の県立病院改革案の説明は全くできずに終わった。しかし、それだけで終わらなかった。議員は副知事に対して、職員教育がなってないと抗議した。副知事は各会派控室を回って謝罪しなければならなくなった。私には野党議員たちの副知事に対する子供っぽい仕返しのように思われた。

 前回の記事でお話したように、私は平成21年に県庁の統括監に指名された。新型インフルエンザの際には「新型インフルエンザ対策を沖縄に学べ」とNHKに取り上げられた。メキシコのような被害もなく収束した。県庁内の私へ評価は一気に高まった。そういったこともあり平成23年には部長に昇進した。

 しかし、当時の野党(現県政与党)は私が提示する県立病院改革の議論を全く受け付けなかった。困ったことに県議会は野党が多数を占めていた。いずれにしろこういった県立病院改革とは全く関係のない場外乱闘が行われただけで、仲井眞知事と私たちが心血を注いで作成した県立病院経営改革案は紙くずになった。そして平成24年の3月には私は60歳になり年齢の関係上県庁を去らなければならなかった。

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 挫折感で気持ちも滅入りがちであったが、残りの人生は生まれ故郷の山原(沖縄本島北部)のために何か役立ちたいと考えなおしてどうにか気持ちを奮い立たせていた。そんな中、身辺を整理していると宮城良充県立中部病院長が私を訪ねてきた。彼は私に概ね次のような話をした。

「自分は65歳定年で長く務めた県立病院を退職する。心残りは県立病院の将来のことである。特に北部病院は現状のままでは衰退していくばかりではと心配している。貴方は今後、北部で仕事をすると聞いている。また北部出身者であるとも聞いている。そこで今後、貴方が中心になって北部にある県立と医師会立の二つの急性期病院を統合して、新たな北部基幹病院を設立する社会運動をしていただきたい。そのことが県立病院改革にもなる」

 彼の話を聞いていて私としても賛成である。しかし、過去3年の経験から県立病院が絡むこういった改革は到底不可能だと思われたが、彼の熱心なことと構想自体は賛成であったので協力することになった。この様ないきさつで平成24年3月に今回の北部基幹病院構想への取り組みが始まった。(続く)

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