めざせ大高 2度目のセンバツ 沖縄県内の奄美出身者も応援
- 2021/10/20
- エンタメ・スポーツ
奄美大島勢初の快挙。第149回九州高校野球鹿児島大会(県高野連主催、朝日新聞社など後援)は10月13日、決勝戦が行われ「大高=だいこう」の名で親しまれる大島高校が、鹿児島大会を制覇した。学校創立120年に花を添えた。毎年国公立大学や有名私大に合格者を出す進学校でもあり、部活動も盛んで文武両道に秀でている。来春のセンバツ高校野球大会の参考基準となる九州大会(11月6~12日)への派遣が決まり、2014年以来、2度目の甲子園出場に一歩近づいた。
沖縄県内には2世3世含め約5万5000人の奄美出身者が住んでいるという。その多くは奄美が米軍支配下にあった時代に沖縄に密航してきた人たちやその子、孫たちだ。沖縄で苦しいながらも生計を立ててきただけに、故郷の大高の快挙は奄美出身者にとっても大きな喜びである。
吉報を聞き、7年前の2014年、大高がセンバツに21世紀枠で出場し、東京駅発の応援観戦ツアーに同行取材した記憶が甦った。試合前日の夜出発し、翌朝到着して第3試合の大高戦を観戦、当日夜に帰京する2泊1日の弾丸ツアー。過酷だったが有意義な取材だった。当時のメモ帳を引っ張り出した。
40人乗りバス2台に分乗すると、後部座席ではすぐに酒宴が始まった。黒糖焼酎の1升パックはすぐに無くなり、高速サービスエリアで一人が買いに行くも、がっかりした様子で手ぶらで戻ってきた。
それはともかく、「島から甲子園」は島人の悲願だった。奄美ではこれまで、身体能力の高い逸材が鹿児島はじめ本土の強豪校に一本釣りされ、島を離れることが多かった。過去に県大会決勝で両校エースが奄美出身者だったこともあるという。今回の対戦相手である龍谷大付属平安高校(以下、龍谷大平安)の1番徳本健太朗君と6番常仁志君は、くしくも徳之島の出身だった。
試合が始まるまで、同行者らから多くの話を聞くことができた。20代の元球児が鹿児島市内での県予選を振り返る。「球審の判定には納得できないものがあった。もし自分が捕手だったら、(鹿児島本土の)相手投手と同じコースに投げさせ、どう判定するか試してみたかった。先輩からも同様の話は聞いていて、奄美だからなのかと思わずにはいられなかった。相手ベンチから『島の学校なんかに負けるな』と聞こえてきたので、逆にやる気が出ました」
他競技で私立の強豪校に特待生で入学した30代男性の証言には衝撃を受けた。「自分が入部したことで父母会が大騒ぎしていることを知りました。『なぜ島の子を採ったのか』と。それまで自分たちは鹿児島県人だと思って生きてきたのに、そうではないことに初めて気が付いたんです。それからですね、奄美は奄美なんだと」
さて試合は2対16と大差が付いたものの、四回終了時まで1対1だった。勝敗を分けたのは経験値だ。龍谷大平安が17安打16得点と効率よく攻めたのに対し、大高は11安打しながら2点しか取れなかった。牽制アウトと3度の本塁憤死が最後まで尾を引いた。しかし、控えの投手をマウンドから引きずり下ろし、エースを引っ張り出して本気モードにさせた打撃力は目を見張るものがあった。
思い出されるのは1975年センバツに初出場し8強入りした豊見城高校だ。準々決勝の対東海大相模高戦。現在巨人の原監督も出ていた。13安打を放ちながら3度本塁で刺され、1対2でサヨナラ負けしたあの悲劇だ。
豊見城高校を率いた裁弘義部長(当時)は、選手に経験を積ませようと積極的に強豪校と親善試合を行った。その成果もあり、同校は夏3年連続8強、沖縄水産高を率いて2年連続準優勝を果たした。裁氏が奄美の出身であることも興味深い。
閑話休題。優勝候補の筆頭に挙げられた龍谷大平安はその後も勝ち進み、紫紺の優勝旗を手にした。大高にしてみればクジ運に恵まれなかったとも言える。身体面では引けをとらないので、経験を積めば数年内には頭角を現してくるだろうと思っていた。
果たして7年後、大高は鹿児島県大会を制した。試合内容は特筆に値する。6試合中4試合がサヨナラ勝ちなのだ。しかも決勝と準決勝は先に点を取られ、中盤で追いつき、無死一、二塁から始めるタイブレークの延長十三回で制した。以下は全試合対戦スコアだ。
決勝 鹿児島城西4-5大島
城西 101 110 000 000 0|4
大島 001 000 300 000 1|5
準決勝 楠南3-4大島
樟南 010 000 100 000 1|3
大島 000 000 020 000 2|4
準々決勝 川内0-13大島
川内 000 00|0
大島 252 4×|13
3回戦 鹿屋農業1-2大島
鹿屋 000 000 100|1
大島 000 001 001|2
2回戦 大島8-4尚志館
大島 200 033 000|8
尚志 001 100 020|4
1回戦 鹿児島工業2-3大島
鹿工 001 000 010 000|2
大島 000 000 002 001|3
決勝戦の対戦相手、鹿児島城西はプロ野球ダイエー(現ソフトバンク)でプレーした佐々木誠氏が監督を務め、昨年センバツに初出場予定だったが、新型コロナウイルスで中止となり、昨年夏の甲子園交流試合に出場した。準決勝の相手、楠南(旧・鹿児島商工)は春夏通算27回を誇る鹿児島屈指の伝統校。さらに2回戦の尚志館も2013年春に出場し初戦を突破している。
これら強豪校を下してつかんだ鹿児島県制覇。かつての沖縄勢にも言われた「詰めが甘い」というイメージを払拭し、接戦に強い勝負強さを備えている。繰り返すが6試合中4試合を延長サヨナラで勝利したことは、優勝以上に価値があるだろう。
大高の快挙は沖縄県内の奄美出身者にも大きな喜びのようだ。移住して50年以上になる70代の男性は、奄美のおかれた状況を慮りながら、大高優勝の味を噛み締める。
「奄美がまだ米軍支配下にあった頃、自由に渡航することもできず、ある者は日本本土へ、ある者は沖縄へ危険を冒して密航を企てた。当時の沖縄では奄美から来た者への風当たりは強く、男は建設現場や酒類販売、女は夜の街に身を落とすしかなかった。引き揚げた者もいれば、改姓して沖縄に住み続けている人もいる。そのような人たちも奄美の誇らしさを感じてくれるはずです」
また中央省庁で要職を務めた東京在住で奄美出身の男性は、電話口で声を弾ませた。
「沖縄出身のあなた(記者)が大高を応援してくれるのは本当にありがたい。前回は21世紀枠で下駄を履かせてもらったようなものだが、今回は実力で甲子園切符をつかんでほしい」
7年前、約6100人収容の一塁側アルプススタンドは超満員で、内野席、一塁寄り外野席は大高カラーの黄緑で鮮やかに染まった。高校野球好きの地元の初老の男性はこう呟いていた。「沖縄もすごいけど、奄美もえらいこっちゃ。こんなんぎょうさん奄美の人がおるんやな」
甲子園には気が早いが、まずは来月の九州大会を心待ちしたい。